映画『ゴジラ』

さて、ゴジラ見に行くか。その前に映画.comとimdbを覗いたところ、

 「エメリッヒ版より悪い」

 との書き込みを発見。これはしまった、いや評判が悪いということは映画館がすいているということだ、と逡巡したあとで「ゴジラ site:d.hatena.ne.jp」でググりました。

 やっぱり面白いらしいので見に行きました。ありがとう、はてなの人たち。映画館はガラガラでした。

 

感想:怪獣ものとしてすばらしい出来である。建物の破壊とか、怪獣同士のとっくみあいとか、口から怪光線とか、要所要所でゴジラが見得を切って吠えるとか。「怪獣でかい、こわい」が堪能できる。

パニックもの・アクションものとしてはハリウッド的な過剰な演出は抑え気味。もの足りない人にはもの足りないかもしれない。

人間の役者はいまいち。存在感があったのは主人公の父親くらい。渡辺謙は、あいかわらず「重要そうであまり意味ない」役をやっていました。

エメリッヒ版よりはだんぜん面白かったです。大傑作でも問題作でもないですが、見て損はない映画でした。

 

岡田温司の新書を全部読んだ

黙示録――イメージの源泉 (岩波新書)
 

 先日本屋で『黙示録』に気づいて、「あれっ、この人また新書出してるよ」と購入して楽しく読みました。この著者の新書を読むのは4冊目です。すると、オタクっぽい「コンプリート欲」がムクムクと湧いてきてしまい、『マグダラのマリア』『キリストの身体』『デスマスク』も一気読みしてしまいました。

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岡田温司中公新書岩波新書は次のとおり。1〜2年に一冊のハイペースです。

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どれもヨーロッパ美術史がテーマで、『グランドツアー』『デスマスク』以外はキリスト教美術がメイン。聖書の記述やキリスト教の歴史からエピソードを解説しつつ、そのエピソードに関連した古代・ルネサンス・近代の美術を紹介し、現代の芸術についてもちょっと触れ、その時代時代の人々の思想に迫る、という感じ。

どの本も私はウヒョウヒョと読みましたが、「何が面白いのか」と言われると困るのであります。「ヨーロッパ文化ってキモくて面白いよねー」と言っても通じないだろうなあ。

謎なのは、「この著者はなんでこんなに本を出せるのか」ということです。新書ブームに乗っかったビジネス本ではなく、時事ネタ本でもなく、ガチの古き良き「教養のための新書」です。執筆には相当の手間がかかっているはずだけど、面白がって読んでいるのは俺だけじゃないのか。それともある程度の売上があるので、出版社から依頼が続いているのだろうか。

著者は京大の教授ですが、昨今の大学の先生と言えば、予算が削られたり雑用に追われたりしてヒーヒー言っているはず。京大はまだ余裕があるのだろうか。それとも仕事をしているふりをして本を書く達人なのだろうか。

田中雄一『まちあわせ』

田中雄一作品集 まちあわせ (KCデラックス)

田中雄一作品集 まちあわせ (KCデラックス)

 

 今日の朝日の書評欄で見つけました。表題作の「まちあわせ」はアフタヌーンで読んで面白かったので、単行本が出てラッキー、と本屋を回ったら5軒目にしてようやく見つけました。これから買う人はAmazonで注文したほうがいいかも。

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アフタヌーンに掲載された中編4つをまとめたもので、どれもクリーチャーと人間の関係を描いた作品です。漫画「風の谷のナウシカ」とか「エイリアン」シリーズとか「アフターマン」とかが大好きな人にお勧め。

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キモいクリーチャー+ベタな恋愛や家族愛を描いたストーリー、という組み合わせが私のツボに入りました。表題作「まちあわせ」には萌え美少女も出てきます。

『世界言語のなかの日本語』松本克己

世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平

世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平

 

次のサイトを見て本書にたどり着きました。
日本語の起源を旧石器時代に探る

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 ディクソンの『言語の興亡』によれば、インド・ヨーロッパ語族のようにきれいに系統樹を描ける言語グループは、わりと例外的であるらしい。比較言語学インド・ヨーロッパ語族について大きな成果を上げられたのは、その先祖集団がユーラシア大陸の西を短期間に席巻したおかげ。「普通の」言語は、周囲のたくさんの言語の影響を受けながら、何千年何万年もかけてゆっくり変化していき、あとかたもなく変わってしまう。

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『世界言語のなかの日本語』の著者も、基本的にディクソンと同じ立場で、伝統的な比較言語学は日本語には通用しない、とする。

なんだけど、副題に「日本語系統論の新たな地平」とあるとおり、本書はそれでも日本語の由来について考察したもの。世界には「ユーラシア内陸言語圏」と「環太平洋言語圏」があり、日本語は後者に含まれる、というのが著者の結論。

といっても「日本語の先祖は○○語」とは決して言わない。あくまで共通点のある「言語圏」であり、同じ先祖を持つ「語族」ではない。

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本書の中心は第4章と第6章で、それ以外は付け足しな感じ。第4章は、世界中の言語のデータを集めて、「ユーラシア内陸言語圏」と「環太平洋言語圏」を区別する特徴を、次のように分析したもの。

世界地図が付いているので、解説と地図を見比べながら読むと楽しい。

  1. 流音のタイプ:lとrのような流音の数
    → 2つ(内陸)/1つ(太平洋)
  2. 形容詞のタイプ:形容詞が体言型(名詞型)か用言型(動詞型)か
    → 体言型(内陸)/用言型(太平洋)
  3. 名詞の数と類別:数の表し方が名詞類別(文法的な単数複数)か数詞類別(日本語の○匹)か
    → 名詞類別(内陸)/数詞類別(太平洋)
  4. 動詞の人称表示:単項型(主語によって動詞が活用)か多項型(主語に加えて目的語でも活用)か
    → 単項型(内陸)/多項型(太平洋)
  5. 名詞の格表示:自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ格の言語を能格型とする
    → 対格型(内陸)/能格型(太平洋)
  6. 1人称複数の包含・除外の区別:「私たち」に聞き手を含む(包含)か含まない(除外)を区別する
    → 区別しない(内陸)/区別する(太平洋)
  7. 重複:日本語の「山々」「かわるがわる」のような表現
    → なし(内陸)/あり(太平洋)

このうち、日本語には 1. 2. 3. 7. の特徴がある。上代には 6. もあったかもしれない、としている。

第6章は人称代名詞のパターンから「環太平洋言語圏」を立証しようとするもの。

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第2章で大野晋の「タミル語起源説」を批判し、第3章で「日本語はアルタイ語族」を批判したのちに、第4、6章で自説を展開しているのだが、読み進むうちに何だかあやしい感じもしてくる……

著者が批判している壮大な脳内理論に著者自身がハマってるんじゃね? という気がしないでもないのである。

※ ※ ※

第2章の中の「仮説としての日・英同系論」にはちょっと笑った。日本語と英語が同系とこじつけようとすれば、こじつけられる(onnaとwoman)。清水義範の「英語語源日本語説」(namaeとname)かよ!

言語の興亡 (岩波新書)

言語の興亡 (岩波新書)

 
蕎麦ときしめん (講談社文庫)

蕎麦ときしめん (講談社文庫)

 

 

 

イラクとレバントのイスラム国

現在イラク北部を席巻している武装集団ISIS(ISIL)、イラクとシリア(レバント)のイスラム国。フランス語では l'EIIL (l'État Islamique en Irak et au Levant) と表記する。発音は「ル・イイ・エッル」のような感じ。また1つ役に立たないことを覚えてしまった。

http://fr.euronews.com/2014/06/11/les-djihadistes-de-l-eiil-progressent-en-irak/

※ ※ ※

レバント地方の「レバント(ルバン)」は、動詞 lever (昇る)の現在分詞 levant と同じ綴り。日が昇る→東→地中海東岸という流れ。沖縄語で東をアガリ、西をイリと読むのと似ていますね。

『量子革命』マンジット・クマール

量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

 

アインシュタインとボーアを中心に、20世紀初めの物理学者列伝と人間ドラマを描いた本。著者は学者ではなくサイエンスライターで、物理学の素養がなくても面白く読めます。原著は2008年刊行の「QUANTUM」。

 以下、いくつかメモ。

 ※ ※ ※

この時代の科学史については何も知らないので、てっきり「原子が発見されて、電子が発見されて、核分裂が発見されて……のようにだんだん進んでいったんだろう」と思ってました。実際のところは、放射線や電子が発見される一方で、20世紀初めになっても原子の存在を疑っている人がいたらしい。1913年にボーアが発表した原子モデルによって、原子の存在が確証され、同時に量子論が一気に広まった感じ。

※ ※ ※

「誰にも理解できないことを考えた天才」といったアインシュタイン像は、1920年代のマスコミによって作られたものらしい。

 それから三日後の十一月十日には、『ニューヨーク・タイムズ』が六つの見出しを持つ記事を掲載した。「光は天で曲がる/(中略)/十二賢人のための本/勇敢なる出版社が刊行を引き受けたとき、世界中で理解できる者はそれだけ、とアインシュタインは言った」アインシュタインはそんなことは言わなかったのだが、その理論の数学的洗練や、空間が歪むというアイデアを新聞が捉えるにはうってつけのキャッチコピーだった。(P176)

確かに1905年のアインシュタインの5本の論文は、 孤独な天才の仕事だったかもしれないが、1920年代のアインシュタインは物理学者のネットワークの中で仕事をしている。ヨーロッパの物理学者はみんなアインシュタインの仕事を知っていたし、アインシュタインもほかの物理学者の仕事をチェックしている。

というわけで、現代人はいまだに90年前の新聞の影響を受けているもよう。

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また、アインシュタインというと「相対性理論の人」というイメージですが、本書を読むと「量子論の一員」という感じがしてくる。アインシュタインが反発していたのは「コペンハーゲン解釈」であって量子論ではない。

「わたしは一般相対性理論について考えた時間より、百倍も多くの時間をかけて量子の問題について考えた」。(P457)

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日本語版副題の「アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突」の通り、二人は死ぬまで強敵と書いて「とも」と読む関係だった。次のエピソードはなかなか感動的。

七十七歳のボーアは、致命的な心臓発作を起こしたのだ。前の晩、かつての議論をもう一度反芻しながら、彼が最後に書斎の黒板に描いたのは、アインシュタインの光の箱だった。(P428)

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波動方程式で有名なシュレディンガーは、コペンハーゲン派に対する態度はどっちかというとアインシュタイン寄り。「シュレディンガーの猫」はコペンハーゲン解釈を説明するものではなく、攻撃するもの。

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不確定性原理はヴェルナー・ハイゼンベルク。数学の不完全性定理のほうはクルト・ゲーデル。全然別。間違えないように。

読書メモ

随時更新。

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