『量子革命』マンジット・クマール

量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

量子革命: アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

 

アインシュタインとボーアを中心に、20世紀初めの物理学者列伝と人間ドラマを描いた本。著者は学者ではなくサイエンスライターで、物理学の素養がなくても面白く読めます。原著は2008年刊行の「QUANTUM」。

 以下、いくつかメモ。

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この時代の科学史については何も知らないので、てっきり「原子が発見されて、電子が発見されて、核分裂が発見されて……のようにだんだん進んでいったんだろう」と思ってました。実際のところは、放射線や電子が発見される一方で、20世紀初めになっても原子の存在を疑っている人がいたらしい。1913年にボーアが発表した原子モデルによって、原子の存在が確証され、同時に量子論が一気に広まった感じ。

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「誰にも理解できないことを考えた天才」といったアインシュタイン像は、1920年代のマスコミによって作られたものらしい。

 それから三日後の十一月十日には、『ニューヨーク・タイムズ』が六つの見出しを持つ記事を掲載した。「光は天で曲がる/(中略)/十二賢人のための本/勇敢なる出版社が刊行を引き受けたとき、世界中で理解できる者はそれだけ、とアインシュタインは言った」アインシュタインはそんなことは言わなかったのだが、その理論の数学的洗練や、空間が歪むというアイデアを新聞が捉えるにはうってつけのキャッチコピーだった。(P176)

確かに1905年のアインシュタインの5本の論文は、 孤独な天才の仕事だったかもしれないが、1920年代のアインシュタインは物理学者のネットワークの中で仕事をしている。ヨーロッパの物理学者はみんなアインシュタインの仕事を知っていたし、アインシュタインもほかの物理学者の仕事をチェックしている。

というわけで、現代人はいまだに90年前の新聞の影響を受けているもよう。

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また、アインシュタインというと「相対性理論の人」というイメージですが、本書を読むと「量子論の一員」という感じがしてくる。アインシュタインが反発していたのは「コペンハーゲン解釈」であって量子論ではない。

「わたしは一般相対性理論について考えた時間より、百倍も多くの時間をかけて量子の問題について考えた」。(P457)

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日本語版副題の「アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突」の通り、二人は死ぬまで強敵と書いて「とも」と読む関係だった。次のエピソードはなかなか感動的。

七十七歳のボーアは、致命的な心臓発作を起こしたのだ。前の晩、かつての議論をもう一度反芻しながら、彼が最後に書斎の黒板に描いたのは、アインシュタインの光の箱だった。(P428)

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波動方程式で有名なシュレディンガーは、コペンハーゲン派に対する態度はどっちかというとアインシュタイン寄り。「シュレディンガーの猫」はコペンハーゲン解釈を説明するものではなく、攻撃するもの。

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不確定性原理はヴェルナー・ハイゼンベルク。数学の不完全性定理のほうはクルト・ゲーデル。全然別。間違えないように。